《前回》
口では「自分は漫画オタク」と言いつつも、新しい漫画を読まないし触れていない。
アニメはもともとあまり見ないし、ゲームも携帯アプリのダビスタ、ぷよぷよをたまにいじるくらい。
小説もライトノベル(オタク色の強い小説)は手に取ったことが無い。
ブログの内容も、自主制作漫画を除いたら普通なのではないだろうか。
根っこはオタクなんだろうけども吸収力が落ちていると言わざるをえない。
はっきり言って新しいものに胸がときめかない……。
「この漫画(アニメ)何?おもしろそう!」と思うことが無いのだ。
冷めた目で見ることが多い。
読者として、受け取り手として熱くなることが無い。
大分前から「私は枯れたのか」と思っていた、のだけれど……。
《続き》
「枯れた」のではなく「目線が変わった」のだと考えるようになった。
どのように目線が変わったのかと言うと、作品を読み聴いてその世界に入り込むのではなく、観察するようになったのだ。
客観的に見るという距離を置くようになった。
作品を読む、見ると言うよりも偵察していると言った方がしっくりくる気がする。
なぜ見方が変わり楽しめないのか。
それは作品の『受け取り手』から『送り手』へとなりたいと言う気持ちが目線を変え、私を他作品で楽しませないのである。
どの作品にも染まりたくない、自分だけの物を作り出したいという心が、現在生み出されている数々の作品から距離をおかせ必要以上に受け入れようとしないのだと思う。
さらに他作品を否定しようとする心の動きもある。
しかし、私はろくな作品を仕上げられないちっぽけなものだ。
それに対し世に出る作品はとても超えられない大きな存在で、私はスピッツのようにキャンキャンと虚勢を張っているのである。
他人の作品の個性に嫉妬を抱き、実力の差に落胆する。
今思えば絵を描くのをやめてしまった空白の時期からそれを繰り返していたのではないだろうか。
ここまで自分を突き詰めてはっきり感じたことは「枯れた」のではなく、「若い」ということだ。
他者の才能を嫉妬し、否定し、拒絶する。
本当に私は人間の若い青二才なんだと思う。
こんなに嬉しいことはない。
けして自分を褒めるわけではないが、枯れた草花から落ちた「種」が自分も残骸かと勘違いをし、出てきた「若葉」に気がつかないでいる、そんな比喩で表したくなる。
《蛇足》
このことを理解するまで、私が何かを感じたときに浮かぶ心の色は枯れ草のような色ばかりだったが、自分がどんなものかが分かった今現在はとてもさっぱりとしている。
心が感じる色がその人の持つ「感受性」ならば様々な色を知った方が素敵だろう。
そして作品に表したくなるのではないだろうか。
そのために私がすることは勉強である。
ひたすら描き、沢山の本を読み、外に出て或るものを見てくる事だと思っている。
はい、おそまつさまでした。
いつものアッパッパー(笑)な川ゆみに戻ります。
HPの楽描きにも載せたけど新キャラ。
名前はまだ。
こういう情のこもらない瞳を描くのは難しいッスね。
描いてすぐのときは「美女が描けたでえぇ~~!みてんか~~!(北野誠の影響)」なんて思ったけど、
なんか下唇出てんね。
「オイーッス」とか言いそう。
今髪がうっとうしいほど伸び伸びで困っております。
素直に美容院へ行くか、
アイロンでグリングリンに巻くか(髪がメチャクチャ痛む)、
じ、自分で切るか……。
不器用でも前髪くらいならなんとかなるか?
リングの貞子をやれるぐらい前髪周辺がみっともないです。